2010年11月12日金曜日

11月11日はやはり特別な日だ

2年前、僕は、うのあんいっちを結成した。

そして、今日(日付は変わってしまったけど)大きな決意をした。




思えば、「学生団体」というものに手を染めて、早いこと2年。
僕の中で、何かを得られたんだろうか。

例えば、学問に勤しむ学生生活でもいいんじゃないか。

「なんで」自分が、この活動をしてきたのか。

いい機会だから振り返りたい。




僕は、高校の頃から基本は真面目であったように思う笑
はっちゃ過ぎることはなかったし、成績も悪くはなかった。
生活面も髪がちょっと長いくらいだったしね。
普通の高校生だった。

でも、「何かしたい」けど「まだ出来ない」と思っていた。
だって、周りに「高校生で何かしている」なんて人は皆無だった。
まあ、それも変わった。

うめけんや高校生には、
起業する人とか学生団体の立ち上げをする人が増えてきている。

より、大学生とか高校生、中学生とか関係なくなるんだろうな。



話を戻して、「なんで、学生団体を始めたか」。
入学当初、SFCが第一志望だった僕は立ち直れないでいた。
人生の大きな挫折は、この選択(浪人せずに、今の道を選んだ事)とバドミントンを辞めたことだ。
なので、最初の頃は、授業の一番前に席を構え、ひたすらに勉強した。
3ヶ月くらいかな。

同時並行で、ESS(英会話サークル)、AIESEC(国際インターン運営)、バドミントン(同好会)に所属した。
バイトもやらなきゃで、それなりに忙しかった。
友達もそれなりにはいたし、楽しくなりそうではあった。

でも、やっぱり何か物足りなかった。

授業で教わることなんて、教科書に書いてあった。
経済の難しい理論以外は、なんとか全部理解も暗記も出来た。
でも、「これが、自分の将来に役立っているイメージを持てなかった。」

ESSでは留学生とコミュニケーションをとったり、AIESECでは合宿でテレアポを教わったりした。
AIESECは今思えば、凄く貴重な2ヶ月だった。
ちょっとしかいなかったんだけど、しかも迷惑かけたんだけど、(今もかけてるw)
そこで知り合った人とは、関係が発展したりもしたw
学生営業の基礎的な要素も少しだけ習えた。

でも、満足できなかった。

「今すぐにでも、社会に何かしている実感」が欲しかったんだと思う。
今思えば、高校の頃からちょっとビジネスをかじってて「何か出来る」と確信していた自分がいて、、、
一方で「何も出来ない」という環境や社会の風潮に矛盾を感じ、自信とアイデンティティをそこに模索していたんだと思う。
自己を確立させたくて、「周囲との違い」を見いだし、それを自己像としようとしていた。
(今も、そうなんだけど、、、)

そうやって、天の邪鬼だった自分は、「何かみんなと違うことをしたい」と思っていたに違いない。

そこで、当時、名を光らせていたK.I君に出会った。
超優秀で、地頭が半端なくよかった。
彼に、うのあんいっちの構想を話されて、即決した。
「やりたい」。


自信はあった。
モデルを創ることも、ビジネスとして成り立たせることも。

でも、ついていけなかった。
目の前の同世代の彼に。
地頭もそうなんだけど、スキルといった努力でどうにかなる部分も全く及ばなかった。

ウィルコムを買ってほぼ毎日電話して、父の古いパソコンを必死に叩いて、なんとかついていこうとした。
(ちなみに、父のパソコンは10年くらい前のVAIOだったww)
とにかく、必死、必死だった。


そう、僕は出逢ったんですよ、「自分より遥かに出来る人」に。
うのあんいっちの初期メンバーと呼ばれる4人(うち、一人は僕)は全員早稲田生で、
3人は凄く頭が切れた。

まずは、彼らに惹かれたんだと思う。



そんなこんなで、学生団体に入り込んでいきました。
後は、うのあんいっちの営業や広報をかねて、どんどん学生団体の皆様と仲良くなりました。


学問に打ち込むことは最も大切です。
ただ、実学をよりリアルで学ぶことも出来たのは事実。
虚学は無理ですが。
これは出来る限り、両立すべきなのが僕の意見です。
「座学も発信することの大切さ」は忘れては行けない。
学会でも、ゼミ内でも、発信はして、議論していかないと。
知が新たな価値を創造しないと思う。




はい。
そして、今日は、休学を決めました。
1年間。
休みます。

やることは軸が1つ。

・サービスを立ち上げること

です。

将来の進路は今回こそ迷いたくない。


実は、このことを今日父に相談しました。
「進路に迷っている。起業するか、就職するか。」
父は、
「俺には全くわからない価値観だから判断は出来ない笑。でも、人生の一番大切なのは信念だと思う。
どこの大企業にいっても保証されないなら、自分の信念に、生き方にこだわったほうがいい。でも、大切なものは守り抜きなさい。
そして、自分の息子の決断は信じている。」
と言ってくれた。

祖父(46歳の若さで他界している。実業家として、輸入家具や健康食品の分野でビルを持ち、自宅は100坪くらいある持ち家だったらしいw)は、慶應のバドミントン部でこんな寄港を部が20周年の際にそえている。

「私共は日常の職務に於て色々の場面に出会うが、その都度その目的を確実に把握し明確なる方針を定め、そして自己ぺースのもとに着実に歩むことこそ、最後の勝別を修め得るものと確信している。これは練習時においても同じ事が云えると思う。自己の欠点は何か?長所は?そして方針は?部員全員が意欲的に練習方針を分析し、改善することとによって、勝利、成功への道につながるものと思う。私はこの原稿を書きつつ学生時代を思い起こし、改めて明日への活力が湧きでてくるのを誇りであるとしみじみ考えるのである。(昭和三十二年卒業 石田裕)」

祖父の兄は北海道で「岩倉組」というNO.1の建設業の創設者で、「平岸ハイヤー」という北海道のタクシー会社も石田家の実家が創業者である。

さかのぼれば、葉隠の四哲の一人、石田一鼎( http://okusa.saloon.jp/asahi/hagakure/5syou-2.html )が祖先にある。

葉隠は、「武士道」のもとである書物と言われている。
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という有名な語句もこれに記述されている。


身内自慢wwもほどほどにして←、
こんな話を今日、父から聞きました。


なんか、僕は、無敵になった気がしましたww


立派な祖先の創業者としての血や、大和魂を灯した確かな信念がこの血には入っているはず。
それだけで、僕はこの血に誇りを覚え、勇気をもらった。


祖父は起業後、朝の3、4時に帰宅。(父が新聞配達をやっていたので、遭遇する。)
朝6時に起床して、父のランニングにつきあっていたらしい。
睡眠時間2から3時間。

努力家の父でも驚き、「こいつ、死ぬんじゃないか。」と思っていたらしいww
そして、46歳の若さで、脳梗塞で他界した。


身内の話は心を震わす。


僕も奮い立たせる。


きっと、祖父も志し半ばだったはず。


ちなみに、祖父も父も、バドミントンでは日本に名を轟かせるくらい有名です。
たぶん←


僕は、既に負けていると思っている。
いいロールモデルがいた。
そう思うと、何に悩んでいたんだろう。

祖父は1億6000万円の借金があったらしい。
それでも他界したあと、家を売ったら2億になったらしいw
どんだけww



祖父と父の名に恥じぬよう、古い価値観だけど、祖先の名に恥じぬよう、
僕は僕の道を歩む。

常に、フロンティアでありたい。
常識、既成を疑い、新たな市場を創造し続けたい。
それを起こすイノベーターの役割でありたい。

そして、祖母の原爆の血、曾祖母のアメリカ人の血、日本人の血。
この血が彩る僕が、「平和」に近づくようなビジネスを構築したい。
夢ではない、目標である。


今を自今分析し、足りないものを埋め、着実に努力する。


まずは、「やりきる」。
そんな一年間にすることを決意しました。




完全に、自己満足な日記ですが、これを言ったらにはやらねば恥ずかしい。
頑張ります.



2010年11月12日3時17分
石田 言行

zenback

\