2011年6月13日月曜日

足湯ボランティア youth for 3.11×日本財団

※これは、未完成です。
完成版をfacebookページにあげました!!、



〜アクティビティ体験記〜

<プロジェクト概要>

プロジェクト名:日本財団ROADプロジェクトwith youth for 3.11
内容:宮城県気仙沼市周辺での足湯ボランティア
日程:6月9日〜13日
費用:無料
参加者:全12名(社会人2人。男性6人、女性6人。)

<経緯>
3月11日14時46分。
皆さんの記憶に新しい、日時だろう。
僕はこの時、渋谷駅をちょうど出た瞬間だった。近くにいたサラリーマンの男性が、「揺れてるぞー!」と
叫んでから気づいた。そして、皆が上を見上げているのにつられ、上空を見上げると建設中の「ヒカリエ」の頂上であったクレーン車が大きく大きく揺れている。本当に落ちると思ったが、安全ベルトがしっかり固定し、危機は免れた。

その日の予定は全てキャンセルし、家は渋谷にあるため徒歩で帰宅。
しばらくすると、帰宅困難になった友達が数名やってきて、ともに一夜を過ごした。

その後に僕がとった行動は自身が運営するメーリングリストで皆の安否確認と、冷静を訴えるものだった。
「落ち着いて、僕らの力が必要になるときは必ず来る。今は、グッとこらえて。」
それが良い判断だったのかはわからない。ただ、Civic Forceのフィリピンでの活動で得た知識や経験から、専門的な支援には僕らは力になれないことを知っていた。

それから、すぐに、Just Givingで募金した。結果、80人以上の人から36万円を寄付して頂いた。
一定の成果は眼に見えるカタチで少しだけ得られたと思う。

その後も、KIBOWとコラボしてのイベントや、イベント支援を後方から行った。

僕はこの時、trippieceを創り上げることが、被災地、日本の一番のためになると思っていた。
でも、でも、力不足をどこかで感じていた。
大学初期からAIESECやうのあんいっちで国際協力をやってきた。そんな僕は、国内協力(言葉が悪いのは承知の上で)にここまで力を発揮できないのか!!言い訳を並べていかないのは、どうなんだ。お前が今まで偉そうにメンバーに指示をしていた「リーダーシップ」はこんな時に使えないのか。

何が正しかったのかはわからない。
今、僕が決心していることは、リーダーシップを然るべき方向性と戦略の上に発揮して、貢献、成果をあげることだ。それは価値となって、自分の血肉となることを僕は知っているから。
trippieceも足場を整えつつある。今後の動きに注目して頂きたい。
僕が出来ることは、力仕事で、動きをつくることだ。


<足湯ボランティアとは?>
足湯ボランティアは、「足湯に浸かってもらいつつ、手をさすってあげる」というボランティア。阪神淡路大震災を機に始まる。被災された方々にリラックスしてもらいつつ、普段言えないことを吐露して貰えれば、という目的で発展を遂げてきたもの。

<準備>
・寝袋(渋谷の東急ハンズで6,000円くらいで購入。夏用のため、小さいけど少々薄い)
・ボランティア保険(近くの社会福祉協議会で加入可能。600円〜1000円くらいが目安。4月1日〜3月31日の年度内なら1回加入すれば何度でも使えるらしい。)
・マスク、軍手、雨具、洗面用具、着替え、生活用品、ちょっとの食事など

<スケジュール>
■1日目
19時30分:JR市ヶ谷駅 集合
20時00分:講習会 開始
      ・自己紹介&アイスブレイク
      ・足湯ボランティアとは?
      ・日本財団ROADプロジェクトとは?
      ・youth for 3.11とは?
      ・足湯の練習
      ・前回、足湯参加者からの声
23時00分:講演会終了
23時30分:新宿駅西口
23時55分:一関駅行きバス出発

■2日目
7時30分:一関駅到着
9時30分:宿舎「キャンプ八郎右衛門」到着&説明
10時30分:足湯 練習
12時00分:昼食
14時30分:面瀬中学校での足湯(計20人くらい)
18時00分:帰宅&シャワー
20時00分:ディナー
21時00分:リフレクション(会議)
22時30分:終了

■3日目
7時00分:起床
7時30分:朝食
8時30分:気仙沼班出発(僕は、本吉班)
9時00分:掃除
10時00分:自由時間
11時00分:本吉班出発
12時00分:昼食
13時00分:準備
14時00分:登米沢(とよまさわ)多目的集会場での足湯(シャンティ国際ボランティアとの共同実施)
17時30分:夕食(現地の方々と一緒に)
19時00分:終了

■4日目
7時00分:起床
8時00分:朝食
9時00分:MTG
10時00分:掃除
11時00分:出発&昼飯
12時30分:紫会館での足湯
16時00分:終了
16時30分:ボランティアセンターへ
17時00分:帰宅
21時50分:バス出発

■5日目
7時00分:新宿駅到着



<体験記>

・本当に、被災地??

生まれて、初めての岩手県。(気仙沼は、岩手と宮城の県境にあり、僕らの宿泊地は岩手にあった。)私たちがバスを降りた一関駅には、目立った被害は見当たらない。それどころか、 車で30分走っても、建物の崩れも見当たらなかった。自然豊かでノドカな風景が永遠と続き、「本当に、被災地??」というのが正直な第一印象だった。

そして、駅から車を走らすこと1時間。
私たちの拠点となる「キャンプ八郎右衛門(通称:キャンパチ)」が見えた。まだ最近使われ始めたボランティア拠点らしい。白いドーム状の建物で、ちょっと奇抜なカタチをしていた。中は非常に綺麗で、キッチンからシャワー、トイレも完備している。ただ、SoftBankの電波は入らず。そして、e-mobileも撃沈・・・。(車で30分ほど走らせた市街地では合った!)ITオタクの自分にとっては痛手。でも、いいところ!!


・深い傷跡

写真を見て頂きたい。

(このブログでは、なしです!)

これが、被災して3ヶ月後の現状。
水道や電気は戻ってきているものの、瓦礫、残骸やヘドロはまだまだ片付けが終っていない。気仙沼は他地区と比較するとボランティアが入っていない地区らしく、現地の方々が片付けをしているそう。ただでさえ、苦しい状況にも関わらず、夏が近づくにつれ熱さ、腐敗からの異臭といったものがますます深刻な問題になるよ予測されている。

岩手県に降り立った瞬間は、「意外とそうでもない」と感じてしまった自分が恥ずかしかった。海沿いは言葉を失うほど、酷かった。3ヶ月たって、なおもこの状態というのは本当に酷いという言葉しか見つからない。家が倒れたり崩れたりというより破壊され、車が潰されている状態。ある被災された方は、津波を「40mくらいの壁が襲ってきた」と例えていた。それは大袈裟な表現ではなく、危機的状況で津波を目の前にすれば本当にそう見えるのであろうと寒気を覚えた。


・たかが、足湯。されど足湯。

足湯ボランティアは、
1.ご挨拶(にっこり笑って、名前を言う)
2.お水(一杯のお水やお茶を差し上げる)
3.お湯かげんの調整(熱い〜ぬるいのまで、好きな温度に調整する)
4.手をさする(指を一本ずつ揉み、指と指の間を揉み、手のひらを押し、腕をさすり・・・を両腕)
5.足を拭く
というのが簡単な作業の流れ。その間に、基本的には受身の姿勢で会話をする。10〜15分の決して長くは長い時間だけれども、気持ちよさそうにして頂いたり、普段言えないことを教えてくれた。僕らは積極的に被災の経験を聞いたわけではないけども、皆さんは自然に言葉を選ぶようにその現状を伝えてくれた。


・避難所(軋轢とストレス)

被災者の方々が集う避難所。私たちが伺った場所は面瀬中学校の体育館だった。当初は300人ほどが生活をしたが、今は90人程度だそう。隣との敷居はわずかに80cm程度。ちょっと顔を伸ばしたら、お隣さんの様子は筒抜け。普通のマンションでもお隣りさんの声がうるさいとイライラすることもあるのに・・・、と正直に感じてしまった。プライバシーの欠片もないのが現状である。


 そこから仮設住宅に移れるかどうかは抽選で決まる。自分たちで仮設住宅の場所を選べるため、例えば面瀬中学校内にある仮設住宅には面瀬中学校に避難している人のみが応募するという訳ではない。市内各地から応募があり、抽選が行われている。ただ、高齢者は中距離の移動でも厳しいため、「近くの仮設住宅に移動したい」とその場所しか応募せずに抽選が外れていることも多い。その度に、不運に不運が重なり、ストレスを貯めていた。どうにかならないものだろうか。

 そして、何よりも当選した人と、落選した人との間に相互の気遣いが発生する。それがストレスとなって、若干の軋轢を生んでいる。他にも起床時間や食事時間が決められているため、そのライフスタイルに強制される。高齢者の方は起床が早いが、若い人はそれよりも遅い。代わりに、若い人は夜が遅い。となると、生活リズムが一定に保てなくなってしまう。また、お肉が少ないという声も聞こえた。

 被災者の方々は、「被災者として支援を受けている立場だから文句は言えない」と我慢してしまう。結果として、それがストレスに繋がっているように思う。足湯は、そんな我慢を話すことの出来るような雰囲気を作ることの出来る大切なボランティアなのである。


・宗教の方々

 日本ではあまり宗教に良いイメージはないかもしれない。
気仙沼地域には、天理教の方々が各県からボランティアに来ていた。和歌山県から14時間も車を走らせて来た天理教の方々は、1週間の瓦礫撤去作業を行い、大分県から来た天理教の方々は炊き出しを作っていた。ボランティアに来る人の多くは、どこかの宗教に所属している人が多いのではないだろうか。これには、正直すごく驚いた。年齢は20歳代後半から60歳代までと幅広い。みな、精力的に活き活きと活動をされていた。

 他に、僕らもお世話になったSVAさんは曹洞宗のお坊さんが立ち上げた団体である。実際にお坊さんがいた。彼らは3月11日すぐに被災地支援として現地入りして、現在もお寺に寝泊りしながら、支援物資やニーズ調査まで様々な活動を展開している。どちらの団体も素晴らしい活動をしている。

 失礼な表現かもしれないが、宗教の良い側面を見ることが出来た。今までその存在意義に対して懐疑的であった。果たして、日本における宗教の役割とは何なのだろう。具体的に良い影響を与えているのだろうか、と疑問を持っていた。今回、そんな方々と交流する機会を持て、宗教的な共同体の連携やボランティア精神には敬服した。経営者は忙しいからといって、寄付や協賛、仕組みづくりやイベントでのトークなどでの貢献の仕方が多い。それも何だか寂しいものだと考えていた自分にとって、彼らの姿勢の方が気持ちのいいものだと感じられた。忙しくても、常に誰かのためであり、社会のためであるという意識は忘れないように心がけたい。


・学生ボランティアの少なさ

 僕は国際協力系の団体で活動していたため、ボランティアに関心のある学生が比較的周りに多い。それでも、震災ボランティアに行ったという学生は50人には及ばないだろう。気仙沼地域では、学生はまだまだ珍しいらしく、同世代の人を現地で見ることはなかった。
 
 学生の本文は勉学にあることに疑いはないが、18歳から22歳くらいの年齢にとって助け合いや共同作業から学ぶことは多々ある。特に国難と十分に言い切れる今回の被災に対して、もっと自発的に立ち上がる(=ボランティア)は必要だと思う。未来に備え、「今」を努力することももちろん大切だが、被災地での「今」は緊急といえる。出来ることと、備えること、やるべきことのバランスを保ちながら精進したい。 被災して3ヶ月、それでも瓦礫やヘドロは多い。 皆さんには、とにかく、1度は協力して、復興に挑もうではないか。そこの学ぶこともあれば、笑顔もある。

 追記すると、海外からもスタッフに来ていた。カナダやオーストラリアといった国々から訪れてくれいる方々にお会いした。特にカナダ人の方は、正座や茶の入れ方などを極めていて日本のことを芯から好きなんだろうと感じた。嬉しいものである。



・「孫」

 高齢者(特におばあちゃん)にとって、孫の存在は特別らしい。どの方々と離しても、孫の話題になる。特に70〜80歳代の方々は僕くらいの孫がいるのだろう。孫と重ねあわせて、どうだとか、孫は今なにしているだとかを語ってくれた。手を握りながら、そっと話に相槌を打ち、笑顔でいるだけで、うっすらと涙を浮かべてくれた。多分、嬉し涙なのだと思う。おじいちゃんやおばあちゃんがこちらにいる方は、是非顔を見せてあげてほしい。そうでない人も本当のおじいちゃん・おばあちゃんのように接してあげれば、凄く喜んでくれる。逆に僕が癒された。ありがとう、おばあちゃん。


・総括
 「可哀想」とは思えなかった、素直に。彼らは逞しく生きている。誰一人、「辛い」という言葉を発することはなかった。それが禁句なのかは分からないが、僕には協力しあい強く生きているように見えた。ある意味では、人間の共同体としての本質ではないのだろうか。

 家を失い、車・船を失った。田畑も失った。家族も失った。それでも、目には涙を浮かべつつも、背中には沢山の見えない手が差し伸べられていた。もともと田舎には、町内会が機能している。もともとの顔見知りも多い。だからこそ、これだけの短期間で信頼し、連携することが出来たのであろう。もし、これが東京ならどうなるのだろうか・・・。

 町内会は存在するものの、若者との関係性はない。若者は若者でコミュニティを築き、高齢者は高齢者のコミュニティを築くのだろうか。。。いや、日本の政治にも見受けられるが、年齢や性別、職業云々の問題で区切るのはナンセンスだ。若くても本物は本物だし、年配でも抜群に優れた方はもちろんいる。向かうべきモノは、ただ一つ。そこにシガラミがあればあるほど、足枷となるだろう。強力なリーダーシップと、信頼からくるフォロワーシップ、そして確かな方向性と戦略こそが求められている。
 
 結論を先延ばしにしてしまったが、「頑張ろう、日本!」と締めくくれるだろう。眼に見える問題、見えない問題も数多く山積みとなっている現状で、私たち世代は傍観しててはならない。現地をコーディネートしてくれたのは、早稲田大学4年の学生だった。前期は学校を休み、被災地入りしている。そして、確かな実績をあげつつある。「学生」であることにこだわりはいらない。「過去」から学び、「今」を生き、「未来」に備えよう。僕たちは、未来を生きる権利と義務がある。

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